新薬師寺旧境内大型基壇建物現地説明会
平成20年10月25日
奈良教育大学構内の北東隅において、新薬師寺の七仏薬師金堂跡と思われる基壇が見つかりました。
平成20年10月25日(土)に現地説明会が行われ、午後1時からの部に参加してきました。
現在の新薬師寺からは考えられない大型基壇跡であり、どのような方向でどのぐらいの規模か実感したいと思い参加しました。
しかし、現地の遺構現場では、目印が少なくその大きさが十分判るようにはなっていませんでした。
説明内容とパンフを見比べ理解しようと努めましたが、大型基壇跡の実感をつかみきれませんでした。
場所は、新薬師寺から見ると西側になります。お寺の直ぐ西側が入江泰吉の写真がある奈良市写真美術館で、
その西側道路を挟んだ数件の民家の裏に当たります。
金堂跡が確かなものであれば南大門(中門?)や七堂伽藍、東西ニ基の塔などその全体規模に興味が惹かれます。
新薬師寺は光明皇后が聖武天皇の病気回復を願い747年に建立された大寺であったようです。
史実として東大寺や興福寺とならぶ規模のものがあったようですが、なぜ現在の規模になったのか興味が湧きます。
現存の新薬師寺は東大寺三月堂の真南に位置し、平城京から見れば西ノ京の薬師寺が西側で反対の東側に位置しています。
興福寺や薬師寺は平城京遷都(710年)に伴い飛鳥より移されていますが、それらに対抗意識もあったかもしれませんね。
説明会の後、昔の大寺を空想しながら教育大の周囲や新薬師寺附近を散策しました。
その後、飛鳥で知った珈琲専門店を探しに奈良町へ、その店は京終地方東側町4−6山中ビル1階「珈琲屋ならまち」です。
マスターに飛鳥と同じものを挽いてもらい、店で味わうとともにお土産としました。
説明会場の様子(新薬師寺方面を向いて撮影)
掲示板より
軒瓦出土状況(掲示板より)
中世土師器皿出土状況(掲示板より)
雨落溝瓦出土状況
説明会の状況(西側を向いて撮影)
雨落溝跡
柱基礎石か?
地固め石
掘立柱跡
雨落溝跡
大型基壇建物跡
これが「珈琲屋ならまち」さんです。